こんにちは!ゆちゃまるです。
私は現在34歳、今年の夏に35歳になります。
33歳で不妊治療を始め、一年後の34歳で稽留流産を経験しました。
私にとって、稽留流産は今後忘れることのない本当に辛い経験でした。
まさか自分が流産するとは…。
すぐに受け止めることが出来ず涙を流す日々でしたが、「必ずまた妊娠できる」と前を向くことで徐々に明るい自分を取り戻す事ができました。
また、流産を経験された体験談をネットでたくさん読みました。
悲しい思いをしているのは私だけじゃない、たくさんの人が悲しみを乗り越え妊娠出産を叶えていることを知ることで勇気を持てました。
この記事では、私の流産経験や辛く悲しかった気持ちとの向き合い方をまとめます。
生々しい表現があるかもしれないので、苦手な方は飛ばして読んでいただけたらと思います。
流産で辛い思いをされている方や、そのご家族やご友人にとって少しでも参考になれば嬉しいです。
クリニックにて妊娠陽性判定
私は、不妊治療12周期目の人工授精で妊娠することが出来ました。
タイミング法を経て、人工授精にステップアップ。
4回目の人工授精施行後、今回ダメだったら次回から体外受精へステップアップしようと考えていたところでした。
不妊治療経歴
2023年9月不妊治療スタート
タイミング法8回 →陰性
人工授精3回→陰性
2024年10月
人工授精4回目→初の陽性
クリニックで陽性判定をもらう前に、自宅で妊娠検査薬を使用し陽性を確認していました。
ですが、先生から改めて妊娠していることを告げられ嬉しくて涙を流したのを今でもハッキリ覚えています。
妊娠判定後のクリニック診察

クリニックで妊娠判定をもらった後、5週で胎嚢(赤ちゃんの入っている袋)と胎芽(胎児になる前の赤ちゃん)を確認しました。
その後、6週で心拍を確認し無事にクリニックを卒業。
不妊治療を始めてから1年以上経っていました。
私も主人も妊娠を待ち望んでいたんです。
胎嚢をこの目で確認した時も、心拍をこの耳で確認した時も涙が溢れました。
ずっと待っていた私の赤ちゃんです。
産婦人科での妊婦検診
8週後半に産婦人科にて初の妊婦検診を受けました。
クリニックを卒業後、2週間ぶりのエコー。
大きく成長していて、心拍もしっかり確認できました。
今でもあの時のエコーの映像が鮮明に思い出されます。
8週後半の診察だったので「9週の壁」を乗り越えたものだと思っていました。
しかし…そんな甘いものではありませんでした。
妊娠11週、稽留流産の診断
妊娠11週、流産が確定しました。
前回エコーで確認できた時は心臓がピコピコ動いていたのですが、もう私の赤ちゃんは動いてません。
心臓は止まっていました。
あまりにも突然で、すぐには受け止めることができませんでした。
産婦人科で診断を下される数時間前、私は仕事中に大量の鮮血がナプキンについているのを確認。
急いで産婦人科へ電話で説明し、仕事を早退し駆け込みました。
祈りながら向かっていました。
祈りは届かず、流産。
…残酷すぎました。
医師からは9週くらいの大きさであること、流産手術を受けるか自然排出を待つか決めてくるよう話がありました。
看護師や助産師さんと思われる方が優しく声をかけてくださったのですが、その優しさがさらに辛く、お会計を済ませて逃げるかのように産婦人科を出たのを覚えています。
家までの帰り道、泣き叫びました。
迎えに来てくれた主人を見つけた瞬間、涙が止まらなくなり、さらに泣いていました。
どれだけ泣いても、辛い気持ちは消えませんでした。
鮮血を確認する前
鮮血を確認する数日前から、水っぽい茶色のおりものが出ていて不安はあったんです。
ですが、ネットで調べると「鮮血でないなら問題ない」「茶色のおりものなら大丈夫」と書かれていたので、その情報を信じることに。
もっと危機感を持つべきだったんです。
判断を誤りました。
そもそも稽留流産とは
稽留流産は、下記のように定義されています。
稽留流産
出血や腹痛などの自覚症状はないものの、超音波検査で胎児の心拍が確認できなくなり、自然に胎児の成長が止まってしまった状況のことをいいます。
流産とは、妊娠22週未満に妊娠が継続できずに終了してしまうことです。流産が起こる時期によって、妊娠12週未満の「早期流産」、それ以降の「後期流産」とに分けられます。
稽留流産は、その多くが妊娠12週未満の早期に起こるものです。日本産婦人科学会によると、妊娠全体の約15%に流産が起こり、その80%以上が早期流産であることが分かっています。引用元:メディカルドック
私は15%の確率を引いてしまった…ということ。
低いようで高い確率です。
100人の内15人も流産するんですからね。
主人の存在に救われた
私が立ち直れた1番の理由は、主人の支えです。
流産を診断され、泣き叫ぶ私に主人はずっと寄り添ってくれました。
主人は私に言ってくれたんです。
「たまちゃんは旅に出たね、また戻ってきてくれるね」
※私たちは、人工授精を受ける前から卵胞のことを〈たまちゃん〉と呼び、妊娠中もそう呼んでいました。
この言葉を聞いて、私は救われたんです。
また会える、一生の別れではない。
必ずまた戻ってきてくれるから、私は頑張ろう。
そう強く心に決めることができました。
主人の存在は私にとって必要不可欠。
私が今また前向きに頑張れているのは主人のおかげです。
翌朝に自然排出
※この先は、生々しい表現がるので苦手な方は飛ばしてください。
稽留流産の診断を受けた翌朝に、自然排出。
医師からは「まだ自然排出はしないでしょう」と言われていたので、覚悟していない状態で起こりました。
泣きつかれて睡眠できたものの夜中に腹痛が襲い、大量の出血が止まらず恐怖を感じたのを今でも覚えています。
何度かトイレに行き、結局そのまま寝られずに朝になりました。
また血が溢れてきたのでトイレへ。
不思議なもので、わかるんですよね。
あー…出てくるなー。
たまちゃんが今にも出てくる…。
そう感じて、手を添えたらドゥルンと白い繊維につつまれた血まみれの塊が出てきました。
頑張って数十日間生きてくれた命。
とても温かく、ずっしり重たかったです。
私は、トイレでしばらく泣いていました。
泣くのを我慢することはできません。
泣いて泣いて…主人が起きてくるまで泣き続けました。
主人の言葉に救われた

主人が起きてきて、我が子が出てきたことを伝えたら、
「それは、たまちゃんじゃないよ。
たまちゃんは船に乗って旅に出てるからそれは抜け殻ね。
たまちゃんはいなくならないから。」
と、優しく言いました。
私はまた涙を流しました。
主人の言葉に救われたんです。
また旅から戻ってきたら会える。
必ず会える。
そう思うことが出来ました。
稽留流産を経験して
この流産は、私にとって『一生忘れられない経験』になりました。
短い間でしたが、私のお腹の中で生きてくれていました。
私を親にしてくれた、紛れもない事実です。
旅に出たくなったんだよね、自由な子だね。
いつ戻ってきても私たちは怒らないよ。
絶対にまた会おう、次は離さないからね。
私が経験した流産は、一生の別れではありません。
必ずまた会えるんです。
そう思うことで、また前に進むことが出来ています。
悲しみを乗り越えて、前に進む

私の体験談をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
正直なところ、今もこれからも流産の辛さは忘れられないと思います。
しかし、いつまでも悲しんでいては、何も変わりません。
この悲しみを乗り越えて、前に進むことで必ずまたあの子に会えます。
この記事が、流産で辛く悲しい思いをされている方にとって、少しでも前向きになるきっかけになれば嬉しいです。

私たちは必ず幸せになれます。
そう信じて、毎日明るく楽しく元気に過ごしましょう!
ありがとうございました♡
はぴはぴ~★
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